「春鹿」の酒蔵 今西清兵衛商店は、近鉄奈良駅から車で5分ほど。世界遺産の春日大社や東大寺の大仏、鹿が群れ遊ぶ奈良公園からも近く、昔ながらの町屋の佇まいが人気で、観光客が頻繁に訪れる奈良町の一角にある。隣接する「今西家書院」は、室町時代の遺稿を残す 国の重要文化財にもなっている。
朝7時半、ひと気のない蔵の外観を撮影していると、ガラガラと扉が開いて、今西清隆社長が出迎えてくれた。今西さんとは、東京でちょくちょく飲んだりすることはあっても、ちゃんと蔵を訪ねて取材をするのは初めてだ。
今西さんは、社長であっても人任せにしないで、自分から積極的に動いてしまうような人。だからいつも超がつくほど忙しい。今日もパリから帰ってきたばかりで、3日後には「立春初搾り」というイベントが控えている。その合間を縫っての取材だ。
「パリはどうでしたか?」
「5年ぶりやったけれど、日本酒は確実に広まりつつあるね。ヨーロッパは10年以上、アメリカは20年以上前から輸出しているけど、次の展開が面白くなってきた。日本でもそうだけど、海外でもこれからは180mlの小瓶がかっこいいいと思っている。」
「春鹿さんは海外でも評価が高いですけど、どのくらい輸出してるんですか?」
「まあ、一割は海外かな」
「今2000石だから……200石!うわ、すごいですねー。小さな蔵一つ分ですよ」
というような話をしているうちに、そろそろ蒸し取りが始まるとの知らせが。急いで釜場へ行く。
平成3年に新築した酒蔵と醸造設備
「春鹿」の歴史は古い。今西家は、代々春日大社に仕えた神官の家柄で、今西社長の代で48代目にあたる。春日大社では、御神酒造りに携わっていたらしく、明治になってから、造り酒屋として独立した。今でも春日大社との縁は深く、日本三大勅祭のひとつ 3月の春日祭では、春日大社内の酒蔵「酒殿(さかどの)」という場所へ出向いて出張仕込みをしているのが「春鹿」なのだ。「春鹿」という名前も春日大社の「春」と神のお使いとされる「鹿」から命名されている。
このような歴史ある蔵なので、建物や設備もさぞ古いだろうと想像していたが、全く違った。平成3年に新築した蔵は、今西さんが、全国の酒蔵を見学して歩き、そのときベストと思った設備を入れているという。
「でも、今になってみると、もっとこうすればよかった、というのはたくさん出てきて……」
と言う。完璧主義の今西さんらしい言葉である。
釜場では、蒸し米を掘り出す作業が始まっていた。造りは、ほぼ社員で行っている。新蔵を建てると同時に、南部杜氏の古川武志さんを迎え、大学の新卒者を全国から数年に分けて募集した。総勢1500人の応募者の中から残った造り手が、今いる6人の精鋭たちだ。
なぜ大卒にこだわったか?という疑問に、今西さんはこんなふうに答えた。高校までは与えられたことをこなすだけだが、大学は主体的に学ぶところだ、と。
「指示待ちの人間はいらない。自分から動かんと。社員にはいつも、『どうしたらいいですか?』じゃなくて、相談事は、『こうしたいけれど、どうですか?』と言えるように」と持論を語る。
2000石を造る現場は、綺麗、清潔にしているなという第一印象。蒸し米をする釜場には甑と連続蒸米機、その隣の部屋には、麹室が見えた。春鹿さんでは麹室が2つあり、昔ながらの麹蓋、箱麹よる麹づくりとKOSと呼ばれる製麹機による麹づくりがあり、仕込みの大小で、それらを使い分けている。今日は、仕込み量の少ない大吟醸の仕込みなので、釜を使い、放冷機を使わない自然放冷である。
試しに釜で蒸した米と、連続蒸米機の米を両方食べさせてもらった。正直、若干釜のほうが硬いような気がしたが、大きな違いは感じられなかった。製麹機も、引き込み床と盛り込み床を保護する水温や麹そのものの温度を見張り、その変化を記録するのがコンピューターの役目。昼夜を問わず、香りの変化を読み、手入れを行うのが麹担当者の役目。この両方が融合して良い麹が生まれる。
「50%精米の純米大吟醸はこれで造っているよ」と今西さんは胸を張る。
また、3年前からは昔ながらの木桶仕込みも復活している。木桶は仕込み室の片隅に、こぢんまりと鎮座していた。もろみからは、青リンゴのようないい香りがただよっている。どうやら「春鹿」では「伝統と革新」が車の両輪のようにうまく回っているようだ。
奈良は日本の酒発祥の地
さて、こうして造られる「春鹿」のお酒はどんな味なのだろうか。私の漠然としたイメージでは、甘口の多い奈良の酒の中では辛口なのではないかと思う。実際「春鹿」には「超辛口」という商品もあるが……? 今西さんに言わせると、「水っぽい酒や薄辛い酒はダメ。辛口、甘口どちらでも旨味があり、キレの良い酒を目指しています。まあ、飲んでみて下さい。」
ということで、きき酒タイムである。ちなみに酒蔵SHOPは、江戸時代築の落ち着いた雰囲気を残していていい感じだ。鹿の絵が透かし彫りのようになったおしゃれなオリジナルグラス(400円)で5種類のきき酒ができる。私は取材なので、すべての酒をきき酒(写真14)させてもらった。
まず純米酒「超辛口」。のどごしはたしかに辛口だが、口当たりはソフトだ。純米吟醸「しぼりばな」は、麹の優しい香りがして辛口。本醸造「新走り一番」は、原酒なので19度あるが、アルコールを感じさせない甘みがあり、やわらかい。山廃純米「500日熟成生原酒」は、幅がある酸と旨みたっぷりである。お燗にいいかもしれない。50%純米大吟醸は、旨味があり口当たりも良く甘みもありながら、後味スッキリ。酒蔵SHOP限定の「蔵出し限定純米大吟醸生酒」は、香りが華やかで旨味がある。
また、隠れた逸品が普通酒。酒らしい酒で、しかも山廃仕込み!! 昔の特級酒みたいで、お値段からしてもこれはお得!本醸造「極味」は甘みがあってサッパリしている。純米吟醸は、けっこう酸がありスッキリ系。山廃純米「鬼斬(おにきり)」は、辛口で酸もあるので、クセのあるつまみに合いそう。最高級の純米大吟醸原酒「華厳」は、激ウマ!口当たりもいいし、バランスも最高!
日本のみならずアメリカでも大好評だという、低アルコール発泡清酒「ときめき」も飲ませてもらった。甘酸っぱいけれど酸もあるので甘さがくどくない。炭酸も爽やかで、食前酒に最適だ。
午後の洗米作業までまだ時間があるということなので、蔵の裏手にある「玄」という蕎麦屋へ連れて行ってもらった。ここは全国的にも有名な蕎麦屋で、16年前から今西家の離れだった家を借りて営業している。「春鹿」のお酒が10種類以上飲めて、つゆには「春鹿」の純米大吟醸が入っているという、「春鹿」づくしの蕎麦屋でもある。
蕎麦粉100%の「せいろ」は、そうめんかと思うほど細い。何もつけずにまず一口。蕎麦の香りが口いっぱいにひろがる。その後は岩塩をかけて一口。そして、つゆをつけてまた一口。うーん、旨い!「田舎そば」は、やや黒くて蕎麦の味も濃い。私は辛み大根おろしでいただいたが、おろしの辛みと蕎麦の旨味が絶妙だ。蕎麦がきは、蕎麦本来の味をひきたたせるために、岩塩でいただく。最後に出てくる蕎麦湯も、わざわざこのためにつくられた、とろとろのもの。まさに蕎麦のポタージュ。つゆに入れて飲めば、まさに贅沢な蕎麦スープ。逸品である。
店主の島崎宏之さんは、蕎麦好きが高じてサラリーマンから蕎麦屋へ転身した人。
「蕎麦本来の味わいを生かしたいので辛口の春鹿が合う」
と言う。手挽きの石臼を蕎麦の種によって5~6台使い分け、時間があれば裏でゴロゴロ挽いている。
「つなぎのある蕎麦は寝かせたほうがなじむけど、うちみたいな蕎麦粉100%のものは打ち立てをゆがかないと。今日の極細麺は、ゆで時間8秒くらいかな」
本物の酒には、本物の職人を惹きつける何かがあるのかもしれない。
蔵に戻り、手洗いの洗米作業を見た後、今西さんが、春日大社に連れて行ってくれた。裏から入り、出張仕込みをするという「酒殿」を見る。ここは看板も出ていないし、パンフレットにも載っていないから、一人で来たらわからない。そして春日大社本殿へ。こちらも、500円払えば中に入れると今西さんに教えてもらい、無事写真を撮ることができた。
そして最後に車で15分程のところにある平城宮跡へ。ここには「造酒司(みきのつかさ)」という酒造りの井戸が発掘され、展示されていた。当時の都・奈良には酒造りを司る役職があり、公的に酒造りが行われていたということになる。
「奈良は、約1300年前、日本最初の都(710年)だけでなく、日本の酒発祥の地でもあるんですよ」、「室町時代後期には、奈良で『木桶』が誕生し、さらにそれまで玄米だった仕込みを麹米も掛け米も精白した白米仕込み『諸白』に、酵母を培養する『菩提もと』、酒をスムーズに発酵させるための『段仕込み』、さらに『加熱殺菌』が創意工夫され、現代の日本酒製造技術の原型を生み出し、これが、伊丹、灘や伏見そして全国に広まっていったんですよ。」
今西さんの言葉には、悠久の歴史を担っている者の自信が感じられた。「春鹿」のどことなく上品な奥ゆきのある味わいには、こうした伝統が息づいているのだと強く感じたのであった。
株式会社 今西清兵衛商店
年間製造量2000石
奈良県奈良市福智院町24
0742-23-2255
http://www.harushika.com/
1 甑から蒸気があがる
2 蒸し米を掘り出す
3 蒸し米を食べる
4 手作業による蒸し米の放冷
5 麹造り
6 大吟醸の仕込み風景
7 杜氏さんとともに
8 木桶
9 木桶のもろみを嗅ぐ
10 米の手洗い
11 春鹿の商品
12 店舗。ここで試飲もできる。
13 試飲用オリジナルグラス
14 これだけ試飲しました!
15 蕎麦屋「玄」奈良市福智院町23-2 0742-27-6868
16 田舎そば
17 春日大社にて
18 酒殿にて
19 奈良名物の鹿さん
20 平城宮跡にて
21 造酒司の井戸
22 今西社長とともに