年末に「にっぽん丸」という豪華客船に乗って、一週間取材旅行をした。お酒類はレストランとバーで飲めるのだが、船に乗っていた日本酒はたった2種類(焼酎は20種類くらいあったのだが……)。そのうちの一つが「奥の松」だった。また、正月に故郷の鎌倉へ七福神巡りをしに行ったら、夷様が祀られている本覚寺でふるまわれた樽酒がなんと「奥の松」だった。テレビを見ていても、森光子さんの文化勲章受章を祝う会で、鏡開きに使われたお酒は「奥の松」だったし、「渡る世間は鬼ばかり」の割烹料理店「おかくら」で出てくる酒も「奥の松」だ。よほど独自の営業ルートを持っているのか、意外なところにひょっこりいるのが「奥の松」という酒なのだ。
19代目蔵元の遊佐勇人さんも、神出鬼没。ニューヨーク、パリ、ロンドン、ハワイ、台湾、香港などへ、日本酒の伝道師となって日夜飛び回っている。しかも日本にいるときは、毎週末東京と福島を車で往復しているという。今回は、たまたま遊佐さんが東京から福島へ帰る日だったので、車に同乗させてもらうことになった。
遊佐さんといえば、車好きで有名だ。この日はさっそうとポルシェで現れた。車にまったく興味のない私でも、カローラとポルシェの違いくらいはわかる。しかし、運転ができない私には、車を走らせる楽しさがどんなものかわからない。
「フェラーリとかポルシェのどこがそんなに好きなんですか?」
と、遊佐さんに聞いてみた。
「江口さんはお酒好きだから、ウイスキーでもアイラモルトなんかのクセのあるやつが好きでしょう?」
「あっ、好きです! あと、きつくて香りが強いグラッパなんかも……」
「でしょ? それと同じなんですよ。僕らは運転しやすい普通の車はいらないんです。運転しにくいけどクセのある車、個性のある車がいいんです。フェラーリなんて、ギアチェンジするとき、ほんとにシャキーン!っていうんですよ。スゴイでしょ?」
車の話をする遊佐さんは、子供のように無邪気である。車好きがこうじて、F1レース用の酒まで造ってしまった。日本国内レースの最高峰、フォーミュラ・ニッポンの表彰台で飲まれるお酒が「奥の松」の「純米大吟醸FN」という酒なのだ。テレビの画面ではシャンパンのように見えるが、じつはシャンパンのように発泡している日本酒だ。米の甘みに爽やかな酸味が加わって、洋食にも合う飲みやすいお酒である。
3時間後、車は二本松に到着し、近くの岳温泉へ向かった。岳温泉では、ほとんどの旅館で「奥の松」が飲めるのだが、わざわざ今夜のために会社に寄って積み込んできた酒は、「全米大吟醸」であった。「全米」は「ぜんまい」と読む。普通の大吟醸は、サトウキビなどから造られた醸造用アルコールを添加するのだが、「全米大吟醸」は、まず純米大吟醸を減圧蒸留して米焼酎を造り、それを少量添加して醸された「奥の松」オリジナル酒だ。米焼酎は、普通の醸造用アルコールと違い、香りも味もあるので、添加すると奥深い味わいになる。実際飲んでみると、口当たりが良く上品な甘みと香りがして、後味はスッキリ。今までにない斬新な味わいである。
「シェリーやポートは、ワインにブランデーを添加するでしょう?それと同じ発想なんです。ブランデーはワインを蒸留したもの。だったら、純米酒を蒸留して日本酒に加えようと思ったんです」
ふむふむ、なるほど。日本酒に普通の醸造用アルコールを添加したら、海外ではリキュール扱いになるけれど、全米酒はシェリーと同じだから、間違いなく日本酒の一種だ。これからは全米酒が世界基準になるかもしれない。
「でも、日本酒とワインを混同してはいけないと思います。ワインに影響されて、米から自分で作る酒蔵とかあるけれど、それは方向性が違う。僕らは酒を造るプロだけど、米を作るプロじゃないですから。米作りは農家に任せるのがいいと思いますね」
鑑評会用の酒を特別扱いしない
翌日は、統括本部長の伊藤正義さんが、安達太良高原にある「八千代蔵」を案内してくれた。昭和49年に建てられた近代的な工場が、美しい渓流の流れる松林の中に建っていた。仕込み水はここの地下100メートルからくみ上げられる、安達太良山の伏流水だ。周囲に広がる雑木林は、急激な温度変化から貯蔵庫を守ってくれている。ふと足元を見ると、
「あ、フキノトウが!」
「ええ、秋にはキノコも採れますよ」
豊かな自然の恵みが感じられる蔵である。ここで20人の蔵人が、1万2000石を造っている。
工場の中では、連続蒸米機が米を蒸しているところだった。「奥の松」では甑もあるが、ほとんど使わない。しかし、米の蒸し加減は手で触って判断する。蔵人さんが、特別にひねりもちを作ってくれた。「めったにやらないけど……」と笑っていたが、上手にできていた。さすが年季が入っている。精米所は別棟に併設されていて、5台の精米器が24時間フル稼働で全量自家精米を行っている。
杜氏さんの部屋が真ん中にあり、コンピュータの画面にさまざまなデータが映っていた。杜氏さんは越後杜氏の流れを汲むが、地元採用の社員なので、30年もたった今では「奥の松流」になっているという。
麹は一番大切なので、杜氏さんの部屋と直結している。麹の機械は二段になっていて、上の棚で24時間、下の棚で22時間、全部で46時間かけて造られる。棚の周りにはお湯が循環していて、湯たんぽのようになっている。
仕込みはかなりの大仕込みだ。大吟醸でも6000リッター、通常は42キロリッターのタンクで仕込む。大きなタンクは手で櫂入れなどできないから、内部に自然な対流ができるように、特殊な丸底のタンクを採用。攪拌機の羽自体も温度設定でき、速度、方向も調整可能なので、人間がやるよりも正確な櫂入れができるという。
こうしてみると、「奥の松」はほとんどオートメーション化されている。しかもハイテク。全国新酒鑑評会で8年連続金賞を受賞している大吟醸だけは、どこか特別な部屋で手造りしているのではないか? と見回したが、隠し部屋があるような様子もない。伊藤さんは笑って言った。
「うちは鑑評会用の特別な酒は造らないんです。だってそんなもの、お客様にフィードバックできないでしょう? それに、私たちにとって、これは機械じゃなくて道具なんです。メンテナンスも機械メーカーに任せず、自分たちでやりますからね。道具を使いこなせば、安くて品質のいいお酒をお客様に供給できると思うんです」
いつでもどこでも飲める酒を目指して
上槽は冷蔵室にヤブタが3台とマキノが1台。ちょうど純米大吟醸と大吟醸が搾られていた。さっそく飲ませてもらう。純米大吟醸はやや酸があって美味。大吟醸は、スッキリしていて香りも良く、文句なく旨い!
工場の外には、ステンレス製の貯種タンクが並んでいた。300石のタンクが49本ある。ここは夏でも涼しい場所なのだが、夏になるとスプリンクラーで水の幕を張って保護している。別に冷蔵タンクもあり、大吟醸以上の酒は、すべて冷蔵で瓶貯蔵している。
瓶詰めラインは本社と同じ場所にあり、パストライザーという機械を導入している。これは、大吟醸などの高級酒で行う瓶火入れを、全商品に応用してしまおうという画期的な機械。このおかげで、香りや風味が火入れによって劣化することがなくなった。
本社1階は「酒蔵ギャラリー」という、お酒の試飲販売所になっていた。ここで一気に試飲させてもらう。「十八代伊兵衛」は上立ち香は強くないが、口に含むとふわーっと味と香りが広がる。「純米大吟醸」はお米の味がしてふくらみのある酒。「純米吟醸生酒うすにごり」は17度の原酒なのに、アルコールっぽくなくまろやかで飲みやすい! 「木桶仕込み」は酸があって甘みもある複雑な味。ぬる燗で飲んでみたい。「88年古酒」は甘みはあるが、ベタベタせずサッパリしている。「96年古酒」は古酒にしては辛口。「芋焼酎ハナタレ」はトロリとして甘みがありウマい! 「麦焼酎ハナタレ」は香ばしくクセがありガツンとくる酒だ。
こうして酒を並べると、瓶やラベルのデザインがおしゃれなことに気づく。この瓶は、限りなく手作りに近い「奥の松」オリジナル。片手でも持ちやすいように、ビール瓶と同じ太さにしてある。機能的にも、パストライザーを使用するために専用のキャップを開発し、火入れ後の放熱性を高めるため、縦縞がボトル全体に刻まれている。
試飲しているところに遊佐さんがやってきた。
「八千代蔵はどうでしたか?」
「いや〜、思った以上に近代的な造りなのでびっくりしました。それなのに連続金賞、すごいです!」
「日本酒は製造工程が複雑なので、人工的な酒ですよね。ワインがブドウまかせの農業製品だとしたら、日本酒は工業技術を極めた加工品に近い。だから機械と相性がいいと僕は思うんです。機械は人間みたいにミスをしないしサボらない。それに、なによりもクリーンで衛生的です。人間の仕事は、これまで手作業でやってきたことを、道具に置き換えて、使いこなすこと。そうすることで、より良い酒ができるのではないでしょうか」
「それは大量生産のための機械化ではないということですか?」
「そうですね。でも、量を造ることも必要だと思います。たとえばすごく売れているお酒があって、注文はたくさん入るのに、造らない、または造れない、ということではいけないと思うんです。需要があったらなんとかして供給しなくちゃ。『奥の松』は飲みたい時、飲みたい場所に必ずある酒を目指しています」
そうか、だから私はひょっこりいろんなところで「奥の松」に出会っていたのか。試飲会などでおいしいお酒に出会っても、まったくといっていいほど手に入らないということがなきにしもあらず。あるお酒に人気が出てブームになっても、手に入らないのでは、ブームの火もいつかは消えてしまう。日本酒の世界では、そんなことが延々と繰り返されてきたような気がする。でも「奥の松」なら何かやってくれそうな気がする。高品質でありながら大量生産ができる酒蔵として、日本酒業界全体を引っ張っていってほしいものである。
奥の松酒造株式会社
創業1716年 年間製造量1万2000石
福島県二本松市長命69番地
TEL 0243-22-2153
http://www.okunomatsu.co.jp
1 浸漬タンク
2 ひねりもち
3 仕込みタンク
4 木桶
5 杜氏さんの部屋
6 麹の機械
7 麹造り
8 搾りたてを飲む
9 貯酒タンク
10 酒蔵ギャラリー
11 「奥の松」のお酒たち
12 試飲させていただきました
13 奥の松人形
14 遊佐社長とともに
15 遊佐社長のレーシングカーに乗って
16 本社から安達太良山をのぞむ