掛川のホテルに現れた「開運」の土井清社長はにこやかだった。土井社長とは、以前静岡放送のテレビ番組でご一緒したことがある。そのときは、カメラが回っているのも気にせず飲みまくる土井社長を見て、「すごい酒豪の社長だな〜」と感心したことを覚えている。
案内されたのは、「宝鮨」というお寿司屋さん。看板に「開運」と入っているところを見ると、土井社長とは長いつきあいなのだろう。カウンターに座り、「開運 吟醸」の一升瓶の封を切る。旨味があって優しい味。きれいで飲みやすい。「新酒っぽいでしょう? 火入れに工夫して、あえてこうしているのです。炭はかけずに、味があって、きれいな酒を目指しています」
「開運」は、2300石を8人で造っている。杜氏は「能登の四天王」として名高い、波瀬正吉さんだ。仕込み水は高天神城のわき水である。「この上品な丸みのある甘さは山田錦のせいです。うちの原料米はオール山田錦で、本醸造も麹は山田です。しかも特等米しか買いません。米に金をかけないといい酒はできないのです」と土井社長。
しかし、米には徹底して金をかけるが、営業の労力は極力省いているという。「売ってくれとも買ってくれとも言わない。注文が来ればさばくだけ。入金は銀行引き落としなので、営業も集金もしていません」
そんな話をしているところへ、大将が次から次へと今日のおすすめを出してくれる。手長エビ、掛川牛とタカアシガニの焼き物、とらふぐの刺身……、旨い! 「開運」は料理をじゃませず、むしろ引き立てる。そして飲み飽きしない。「この酒はいくら飲んでも本当に疲れませんね〜」などと言いながら、2人であっという間に1升開けてしまった。
次に行ったのが、雑居ビルの2階にある「辰ちゃん」。おばちゃん1人で切り盛りしている焼鳥屋で、串に刺さず、網で肉を焼いてくれる。ここでも当然飲んだのは「開運」のはずなのだが、もう酔っぱらっていてよくわからない。ホテルに戻ったときは、半分記憶がなくなっていた。
設備投資は惜しまない
翌日、早朝から「開運」の蔵を訪ねると、甑から湯気が上がっていた。蒸し上がった米はクレーンでつるして取り出す。「開運」では、造りに直接関係ない作業は、機械化、省力化するという考えなのだ。ただし、酒母用の掛け米は、掘り出して手で運ぶ。酒母は、速醸もとと高温糖化もと。もと場は開放的なつくりになっていて、蒸し米をむしろに広げて冷ますのもここである。
麹室は3つ。大吟醸の麹は麹蓋で造り、そのほかのものには、ハクヨーの製麹機が使われる。室が3つあるので余裕があり、納得できるタイミングで出麹できるという。
仕込み室には中くらいの開放タンクが並んでいた。750キロの小さいタンク10本は大吟醸用だ。驚いたのは、隅にパソコンがあり、仕込みタンクの温度状態がモニターに表示されていることだ。各もろみには、コンピューターとつながったセンサーがあり、自動的にタンクを冷やしているのだ。
じつは、酒造りは名杜氏・波瀬正吉さんに任せ、彼をサポートする設備投資を惜しまないのが、土井社長の経営方針なのである。だから、「開運」の蔵には、ほかの蔵では見慣れない装置や設備がたくさんある。
洗米機は二種類あり、掛け米の洗米機は気泡を使って洗う方式。麹米は、独自に開発したもので、回転するザルの中にある米が互いに研磨されて洗われる方式だ。浸漬も連続自動浸漬機で行う。ベルトコンベアで水の中を通しながら、その時間で水分量を調節するのだ。
槽場では、袋吊りをしたあとのもろみを槽にかけていた。この槽場にも仕掛けがある。部屋全体にオゾンを発生させて、袋香などの匂いを取っているのだ。もちろん冷房もかかるし除湿乾燥もできるので、ヤブタにまったくカビがない。
土井社長が「こっちへ来てごらん」というのでついていくと、屋上から見えたのは、倉庫の屋根一面に設置された太陽光パネルであった。蔵で使う110キロワットのうち、60キロワットを太陽エネルギーでまかなっているという。屋上にはまた、廃水処理場があり、堆積した汚泥まで、すべてバクテリアが分解してしまうとのことであった。
社長と杜氏は車の両輪
その後、別室で待っていると、土井社長が利き酒用のお酒を、わざわざタンクから直接出して持ってきてくれた。「利き酒は吐き出していたら本当の味はわかりませんよ。私はいつも飲んでいます」という土井社長にならい、しっかりと飲んで味わうことにした。
まず「本醸造」から。甘みがあり、酸もややあってキレも良い。「吟醸」は旨味がありながらきれいな酒である。「大吟醸」は香り穏やかで口に含むとほのかに香るところが上品だ。「純米吟醸」は酸があってしっかりしているがとてもきれい。「純米大吟醸」はもっともバランスが良く、きれいで味があってキレも良かった。これが名古屋局では20年連続、全国でも6年連続金賞をとっている「開運」の底力なのだ。
「きれいで味があって後味スッキリとした酒を造りたいと思っています。ゴツい酒は好きじゃない。山廃系も香りが好きじゃないからやらない」という土井社長は、最後の火入れまで目配りする。「いつ火入れをするかはきわめて重要です。私は2〜3週間待つほうですね。酒のかどがとれて、丸くなるまで待ちます」
土井社長は農大出身。蔵の責任者になったのが昭和50年のことだった。当時はまだ大手の桶売りをしていて、独自の酒はほとんど造っていなかった。これではいけない、と一念発起して、東京進出を決意する。ちょうど昭和43年から波瀬正吉さんが杜氏になり、酒質には自信があったからだ。
昭和53年に池袋の居酒屋「笹周」へ「開運」の吟醸酒を持ち込んだところ、とても気に入られ、「四季桜、菊姫と並んで、銘酒ベストスリー」という評価を得た。これがきっかけとなって東京で売れるようになり、「それでは地元でも売ろう」ということで、「見直してください、静岡の酒」という新聞広告を出した。すると、「開運」を飲んだ人の中から「これはすごい酒だ!」という声があがり、地元でもシェアを伸ばしていったという。昨日の宝鮨さんも、古くからの「開運」ファンの一人だったそうである。
「波瀬さんとは意見が一致しているから、任せて安心している」と土井社長が言えば、波瀬さんは「社長がここまで米と設備に気を遣ってくれるので、感謝しています」と言う。社長と杜氏、お互いが車の両輪のようにして、「開運」をここまで高めてきた。
今後は?の問いに、土井社長は笑って言った。「もう設備投資もやりつくしてしまったので、そろそろやることがなくなってきたかもしれません。今、日本酒を輸出するのがブームのようになっていますが、海外に出て行く気はありませんね。まだまだおいしい日本酒を飲んでいない日本人はたくさんいる。そういう人たちに『開運』を飲んでいただきたいです」
そのためには、機械化して量産するのではなく、あくまでも手造りで、酒質の向上をはかりたいという土井社長。全国区の人気を得た今も、「開運」の旅には終わりがないのである。
株式会社土井酒造場
創業明治5年 年間製造量2300石
静岡県掛川市小貫633番地
TEL 0537-74-2006
http://www.kaiunsake.com
1宝鮨 静岡県掛川市中宿205 TEL0537-24-7437
2焼鳥 辰ちゃん 静岡県掛川市中央1丁目3-12 恵福ビル2階
3湯気を上げる甑
4クレーンで蒸し米を取り出す
5酒母用の掛け米を掘り出す
6酒母用の掛け米を冷ます
7もろみ温度をコンピューターで管理
8仕込み室
9酒母室
10大吟醸のもろみを袋吊りする
11槽(ふな)がけの作業
12麹米用の洗米機
13麹室
14「開運」のお酒
15土井社長とともに
16掛川花鳥園