「天の戸」醸造元、浅舞酒造は横手盆地のほぼ中央、平鹿町浅舞にある。奥羽山脈に端を発する皆瀬・成瀬の二つの川に挟まれた扇状地で、伏流水が湧水群として自噴するほど水の良い場所だ。また、横手といえばかまくら祭りで有名な豪雪地帯だが、訪れた年は暖冬で、雪はほとんどない状態だった。
柿崎秀衛社長に連れられ、蔵の近くにある「うまみ処さなだ」へ。柿崎社長とは、数年前東京の日本酒イベントで出会い、その後一緒に飲みに行ったりもしているので、気兼ねのない間柄である。今夜は取材の打ち合わせを兼ねての会食で、杜氏の森谷康市さんも来るということだったが……。
「すみません、杜氏は明日大吟醸の搾りがあって、来られないそうです。逆に、どうしてこんな大事なときに取材を入れたのか、と怒られちゃって……」と柿崎社長は恐縮している。あの温厚な森谷さんが怒っているとは。これはまずい、完全に招かれざる客である。
徒弟制度が一般的で、一人前になるまで10年以上かかるとされる杜氏の世界で、森谷さんは異色の存在だ。平鹿町の米農家で生まれ育ち、山形大学農学部を卒業後、実家を継いだ。3年目の夏、柿崎社長(当時は専務)に誘われ、冬は浅舞酒造で働き始めた。その3年後、蔵の経費節減のあおりをうけて、杜氏がやめた。以来、「杜氏のような仕事をするうち、杜氏になってしまった」という。
その言葉は謙遜でもなんでもなく、本当に、一人でとことん苦労したようだ。しかし、平成2年から5年連続金賞受賞という快挙を成し遂げ、自他共に認める杜氏となっていったのだった。このあたりの経緯は、森谷さん自身の著書である「夏田冬蔵」(無明舎刊)に詳しい。10年以上前、まだ森谷さんが駆け出し時代に書かれた本だが、当時の苦労や悲喜こもごもが、ユーモアを織り交ぜて胸に迫る名著である。
森谷さんのかわりに来てくださったのが、柿崎常樹製造部長だった。柿崎社長の弟さんである。森谷さんのことが気にかかるが、ここはひとまず乾杯! 飲むのは「天の戸」の普通酒だ。総生産量(900石)のうち一割程度しか造られていないし、まず東京では飲む機会がないので、ありがたくいただく。やや甘みがあり、サラリとしていて旨い。
目の前の鍋では、グツグツときりたんぽが煮えていた。スープは比内地鶏でとったダシを濃いめに味付け、ちゃんとセリには根っこがついたままだ。これぞ愛すべき本場のきりたんぽ鍋である。私は仕事柄、日本全国歩き回っていて、行ったことのない都道府県はない。その中で、別格の北海道と沖縄をのぞき、大好き県ベストスリーをあげるとしたら、高知、鹿児島、そしてここ秋田だ。3県とも酒どころだが、うまいものがある県といえば、間違いなく秋田が筆頭ではなかろうか。とくに好きなのが、ハタハタのしょっつる鍋と、このきりたんぽ鍋なのである。
柿崎社長はほかにもお酒を持参していた。純米酒「醇辛・天の戸・無濾過生」は旨味がありながらキレもあり、いい酒に仕上がっている。本日の料理で言うと、ひろっこ(山菜の一種)の酢味噌和えや、とんぶりなど、あっさりとしたものに合うようだ。
もうひとつの酒は黒麹で醸した、その名もズバリ「黒」。これは上品な酸があり、白ワインにも匹敵するような旨さがある。私の好きな酒の一つだ。こちらはしっかりとした味付けのきりたんぽ鍋によく合う。私は柿崎社長と「天の戸」を酌み交わし、「ウマイ、ウマイ」と秋田の夜を満喫したのであった。
肩の力を抜いた酒造り
翌朝、蔵へ行くと、甑から蒸気が上がっていた。米を蒸す釜は、昔ながらの和釜。今日は蒸気が上へ抜けているが、これが吹雪の前など気圧が低くなると、蒸気が下に下がることがあるそうだ。そういうときは、和釜の中にヒーターを入れて、蒸気の温度を上げてやるという。
蒸しとりは、クレーンでつるす方式だ。米を冷ますのはすべて放冷機で、手ではやらない。雑菌が入るのを防ぐためで、出品用の大吟醸でも放冷機を使う。また、麹の量が多いものは放冷機で種切りをする。少ないものは、麹室で薄く並べて種切り。それも、純米酒は下に向けて、吟醸酒は上に向けて振るなど、こだわりがあるそうだ。
仕込み室へ行くと、数人が櫂入れをしていた。仕込みは1500キロが最大。30本のタンクが2回転すると春になる。温度調節は仕込みの量でしており、特別な設備はない。たとえば1500キロの仕込みなら15度、1100キロの仕込みなら12度、というような感じだ。あとは蔵の冷える場所で少ない量なら吟醸、温かい場所なら純米、というように、すべて自然に任せておおらかに造っているという。
大吟醸のタンクは4本、750キロだ。ここだけ別の部屋になっていて、なんと軽くヒーターがついている。
「大吟醸は、甘やかしてどんどんおだてて、早く大きくな〜れ、と。昔は強い酵母を厳しく育てていたけれど、今はそうやって香りを出すより、キレを出すことが重要なんです」
と森谷さんは言う。だから、寒がっていたら電球をタンクの下に入れたり、発泡スチロールのカバーを着せたりして、大切に育てているのだ。
「大吟醸にストレスをかけて厳しく育てていたのは昔の話。ストレスをかけているように見えて、一番かかっていたのはじつは蔵人だったのです。今は肩の力抜いて造っている。みんなでがんばるけど、気合いかけての酒造りではなく、笑いの出るような、余裕ある酒造りを目指しています」
全量酒米研究会の地元米で醸す
槽は3台あり、全量ふながけで搾っている。しかし今日は大吟醸の搾りなので、袋吊りである。袋は槽用よりやや柔らかいものを使う。
「精米して2ヶ月、もろみで1ヶ月、袋の準備で1ヶ月、それに斗瓶の準備もある。今日のためにずっとやってきたのだから、気が抜けないのです」
と森谷さん。そんな大切な日に、取材に入ってしまい、本当に申し訳ない。
「それに、酒は田んぼから、稲からすでに酒造りですから、種籾から数えれば11ヶ月かかっているのです」
そうなのだ。昭和63年に町内農家10名の有志が集まり、平鹿町酒米研究会が発足し、地元で酒米生産が始まると、「天の戸」は彼らの美山錦や吟の精を使って酒を醸し、全国の鑑評会で連続金賞を受賞する。それは、兵庫産の山田錦でしか金賞は取れないとされた当時の常識を覆す快挙だった。以来、7回金賞を取っているが、どれも地元の米で醸された酒である。(ちなみにこの年の全国新酒鑑評会でも金賞を受賞している。)
酒米研究会の農家は現在19名になり、その中には森谷さんをはじめ、「天の戸」の蔵人4人も名を連ねている。まさに「酒造りは米作りから」だ。平成5年からは、完全契約栽培となり、「天の戸」で全量買い上げをするようになった。こうして計画栽培・計画販売の体制ができあがったのである。「天の戸」の看板商品・特別純米酒「天の戸美稲(うましね)」の裏ラベルには、酒米研究会の面々の写真が載っているのでぜひ見てほしい。
さて、本日搾る大吟醸は、秋田酒こまちの特等米を使っている。10人いる蔵人のうち、「だれも山田錦をさわったことがない」と森谷さんは言う。10人総出で何度も手順を確認し、いよいよ袋吊りが始まった。しかし、あれれ? みんな、笑ったり冗談を言いながら作業をしているではないか。あんなに気が抜けないと言っていたのに……。
「号令かけたり気合いかけたりしない。緊張しないでやるのがうちのやりかた。力の入った米で、力の抜けた蔵人が造っている、それが天の戸の酒なのです」
そう言って森谷さんは笑った。
袋吊りが終わり、タンクの中に、お酒の垂れる音がピチピチと響いてきた。あらばしりを飲ませてもらうと、まだ荒々しく、後味が辛い。森谷さんは少しずつ飲みながら、斗瓶の味を覚えていく。しばらくして、2杯目をいただく。さっきより澱もなくまろやか。全然味が違う! ややあって、「このあたりが最高のところ」と森谷さんが持ってきた3杯目は、ますます磨きがかかっているではないか。「このくらい渋みがあるほうが、後から良くなる」とのことである。
その後、別室で、商品の試飲をさせてもらった。「白雲悠々 純米大吟醸」は、香りが華やかで甘みや旨味があり、ふくらみのある酒。森谷さんおすすめの「五風十雨 純米吟醸」はやや酸があり、骨太な感じで旨味たっぷりだ。「亀ノ尾仕込み 純米吟醸」は酸に特徴があり、スッキリしている。「氷晶 純米吟醸うすにごり」は、濁り酒なのに甘すぎず、サッパリ。
「美稲 特別純米」は酒らしい酒で旨口。「美稲八〇」は80%精米の「美稲」。甘酸っぱくワインのようで、スッキリしており上品な味わいだ。「発泡白酒 美稲」はスパークリングタイプの「美稲」。酒粕の味がほんのりとして、甘すぎずおいしい。「醇辛」は旨味があって飲み口はスムーズだが、後味が辛口。「純米酒」は蜂蜜っぽいフレーバーがあり、コクがある。私はこの「純米酒」と「白雲悠々」が気に入った。
試飲が終わり、事務所へ行くと、皆出荷作業で忙しそうだった。「天の戸」は宅配便の発達とともに出荷数をのばしてきた。少量の商品を何カ所にも分けて配達できるようになったからだ。こうして6割は、地元ではなく、東京や大阪を中心とした県外に出荷される。また、「美稲」は、全米30州に輸出もされている。今は全体の5%くらいだが、「今後は1割を輸出に回したい」と柿崎社長は言う。秋田の小さな蔵が地元米で醸した「天の戸」は、今日も地元農家の夢をのせて、日本全国で、世界で、飲まれているのである。
浅舞酒造株式会社
創業大正6年 年間製造量900石
秋田県横手市平鹿町浅舞字浅舞388
TEL 0182-24-1030
http://www.amanoto.co.jp
1うまみ処さなだ 秋田県横手市平鹿町浅舞字福田98-5 TEL 0182-24-3500
2きりたんぽ
3米の蒸し取り
4放冷機にかける
5仕込み室
6大吟醸の搾り
7大吟醸は袋吊りで搾る
8あらばしり。まだ濁っている
9あらばしりを試飲
10蔵人さん全員で大吟醸を試飲
11槽にかけられた「本日の槽口」
12槽がけの作業
13搾っているそばから試飲。旨い!
14天の戸のお酒
15試飲コーナーにて
16柿崎秀衛社長と