酔っぱライタードットコム - 造り手訪問/岩の原葡萄園

タイトル*.jpg

 JR直江津駅から車で30分。小高い山のふもとに、日本で最も古いワイナリーのひとつがある。この地の大地主であった川上善兵衛が、1890年(明治23年)に自宅の庭を開墾してつくった岩の原葡萄園である。

 岩の原という地名が表すとおり、ここは岩だらけのやせた土地。善兵衛は、この地で苦労する農民救済のため、荒れ地でも育つブドウに着目し、ワイナリーを開いたのだった。そして、日本の気候風土に合ったブドウを求めて品種改良に没頭し、約1万種の品種交雑の中から、マスカット・べーリーAをはじめとする、22品種のブドウを世に送り出したのである。

1*.jpg2*.jpg

 現在、日本で収穫されているブドウの約6割は善兵衛が造りだしたものか、輸入したもの、あるいはそれらをもとに造り出されたブドウであり、日本で

 ブドウ造りをしている人で、善兵衛の恩恵を被っていない人はいないと言ってもいいほどである。

文化財にもなっている貴重な石蔵

 「ここは、けしてテロワールの良い土地ではないのです。山の北側の斜面ですし、降水量は多いですし。唯一の救いは水はけが良いことでしょうか。しかし、私たちは善兵衛が作ったブドウ品種を使い、最高のワインを造りたいと思い、努力を重ねています。『マスカット・べーリーA 2007』は、国産ワインコンクール2009で金賞と最優秀カテゴリー賞を受賞しています」
 と、坂田敏社長は胸を張る。そのワインはあとでテイスティングさせていただくことにして、併設のレストランで、発酵途中のワイン「ペルレ」を飲むことに。8月のデラウエアから始まって、10月の終わりはマスカット・べーリーAというように、季節によって飲めるペルレは違う。ぶくぶくと泡立っていて、ちょっと濁りがあり、飲むと甘いジュースのようなワインだ。ワイナリーでしか飲めない貴重な一品である。

3*.jpg4*.jpg5*.jpg6*.jpg

 食事は坂田社長おすすめの「牛肉の岩の原ワイン煮」。やわらかくとろけるようなお肉が絶品だ。飲むのは「岩の原ワイン オリジナル」の赤。マスカット・べーリーAやヤマソービニヨンなどをブレンドしている。柔らかい口当たりで、どんな料理にも合いそうな、飲み飽きしないワインである。

 食事を堪能したあとは、製造部長の高谷俊彦さんの案内で丘の上の見晴らし台に上がり、頸城平野と遙か彼方の日本海を眺めた。ワイナリーのまわりは田んぼばかりで、ブドウ畑はない。岩の原葡萄園だけ、ポツンとブドウを作っている場所だということがよくわかる。現在、岩の原葡萄園の総面積は23ヘクタール。そのうちブドウ畑の面積は6ヘクタールである。

 見晴らし台には、大正天皇の行啓記念の碑が建っていた。当時、本格ワインは滋養強壮のため薬局で売られているような状態で、庶民にはなじみが薄かったが、善兵衛は、皇室にワインを献上していたようで、それを飲んだ大正天皇が、ぜひにと言って訪れたと言われている。

 見晴らし台の周りにも、ブドウ畑が広がっていた。冬になると2メートル以上も雪が積もるため、ブドウ棚の位置は高い。雪につぶされないよう、樹の枝を交差して立てる独特の仕立て方になっている。

 品種はほとんどが善兵衛の作ったブドウで、フランスの品種はシャルドネとカベルネ・フランのみ。レッド・ミルレンンニュームは、ブドウを房のままマイナス20度で凍らせて解けるときに果汁を搾る製法で、甘口だけれど酸味のしっかりした個性的なワインにするという。また、ローズ・シオターは、今年からスパークリングワインにするということであった。

7*.jpg8*.jpg9*.jpg10*.jpg

 工場棟へ行くと、今も善兵衛が建てた2つの石蔵が残っており、山の湧水を通して石蔵の温度を下げる「冷気隧道」も見ることができる。とくに1895年に建てられた第一号石蔵は、国の有形文化財に指定されるほど貴重なものだ。1898年に造られた第二号石蔵は、今でもワインの貯蔵庫として利用されている。

 善兵衛は、上越の雪でブドウ栽培に大変苦労したが、その雪をワイン造りに活用していた。「発酵温度が上がりすぎるとおいしいワインができない」ということから、冬に降った雪を室に入れて、翌年まで保管し、発酵温度を下げるために使った。当時としてはきわめて珍しい低温発酵を可能にしたこの雪室は、2005年に復刻して再現されている。

 雪室にはもう雪は残っていなかったが、高谷さんが樽で試験醸造したもろみが発酵していた。発酵途中のワインを飲ませてもらうと、半分ブドウジュース、半分お酒のような、なんともいえない旨さ。また、高谷さんは、ローズ・シオター100%のスパークリングワインを一人で手造りしていた。瓶内二次発酵させて造る、シャンパーニュスタイルの本格スパークリングだ。壜詰めまで完全手造りなので、3000本くらいしか造れないという。飲ませてもらうと、キリッとした辛口のスパークリングワインに仕上がっていた。

私財をなげうってつくったワイナリー

 最後に向かったのは、川上善兵衛資料館である。1868年(明治元年)、大地主の家に生まれた川上善兵衛は、22歳のとき、貧しい小作人たちを救済するため、私財をなげうって岩の原葡萄園を開いた。ワイン造りは、交流のあった勝海舟の影響で思いついたと言われている。

11*.jpg12*.jpg13*.jpg14*.jpg

 1895年に40石(1万本)のワインを初めて造ったが、酸っぱくて飲めた代物ではなかった。これではいけないと勉強し直し、開放式ではなく密閉式の樽で発酵させることと、雪室を作って低温発酵させることで、品質を向上させた。しかし、当時は赤玉ポートワインのような甘味ワインが主流の時代。本格ワインはまったく売れなかった。

 やがて日露戦争が始まると、善兵衛のワインが陸海軍に採用される。滋養強壮剤、薬用としての採用だったが、これで傾いていた経営が少し持ち直した。   

 1922年、メンデルの遺伝の法則を知り、53歳でブドウの品種改良に本格的に取り組んだ善兵衛は、1万種類を超えるブドウから、日本の気候風土に合ったブドウ22種類を作ることに成功。これらのブドウは今でも日本中で作り続けられている。また、善兵衛が著した「葡萄全書」は、ワインづくりを志す多くの人たちの道しるべとなった。

 しかし、善兵衛の本格ワインは相変わらず売れず、ますます経済的に困窮していく。そんな折、寿屋(現サントリー)の鳥井信治郞と、親戚筋であった坂口謹一郎博士を通じて知り合い、意気投合。共同会社を設立し、赤玉ポートワインの原料を造ることで、葡萄園の経営はようやく安定した。

 1941年、善兵衛73歳の時、日本農学会より論文「交配に依る葡萄品種の育成」に対し、最高位の「日本農学賞」が与えられた。その3年後に、自宅で亡くなった善兵衛の墓は、今も岩の原葡萄園に囲まれた、ブドウ畑を見下ろす丘の上に建っている。

15*.jpg16*.jpg

 こうして見ると、日本で本格ワインを造ることに一生を捧げた川上善兵衛は、経営者としては成功できないまま、すべての財産を失ってその生涯を終えたのである。しかし、彼の本格ワイン造りにかけた情熱と努力は、1970年代以降のワインブームの中で陽の目を見ることになった。

 坂田社長は言う。「欧州種のブドウを使ってフランスの後追いをしても仕方ない。川上品種を使い、世界的にも評価される個性と価値を持ったワインを造ることが目標です」

 金賞をとった「マスカット・べーリーA 2007」を飲ませてもらうと、イチゴのような甘い香りに、おだやかなタンニンの上品なワインであった。マスカット・ベーリーA特有の土っぽさも、いいアクセントなっている。バランスのとれた「和風のワイン」だ。

「日本のワイン葡萄の父」である川上善兵衛の思いは、彼の開いたワイナリーで脈々と受け継がれているのである。
外観*.jpg
株式会社岩の原葡萄園
開設 1890年(明治23年)。 年間製造量40万本
新潟県上越市大字北方1223番地
TEL025-528-4002
見学無料(年末年始以外無休)
(4月~10月)9:00~17:00
(11月~3月)9:00~16:30.
http://www.iwanohara.sgn.ne.jp


1ペルレ
2牛肉の岩の原ワイン煮
3川上善兵衛住居跡
4見晴らし台からの眺め
5大正天皇行啓記念碑
6自家ブドウ園
7雪に強い仕立て方
8レッド・ミルレンニューム
9発酵タンク
10発酵する赤ワインのもろみ
11石蔵で樽を貯蔵
12スパークリング・ワイン造り
13ラベル貼り
14川上善兵衛資料館
15岩の原ワイン
16坂田社長とともに


▲ ページトップへ

オヤジ飲みツアー

飲み比べシリーズ

世界の酒を飲みつくせ!

酔いどれエッセイ