広島の竹原にやってきた。
京都・下鴨神社の荘園として栄えたこの町は、「安芸の小京都」として親しまれ、町並み保存地区には江戸時代からの町並みが残っている、風光明媚な観光地だ。また、瀬戸内海沿岸に位置していることから、海運が盛んだった頃には「安芸の小灘」ともいわれ、最盛期には26軒もの造り酒屋があった酒どころでもある。
現在でも3軒の蔵が酒造りを続けており、今回訪ねたのはその中の一軒、中尾醸造であった。社長の中尾強志さんとは、ある日本酒関係者の結婚披露宴で一度お会いしている。
到着した日の夜は、中尾社長と東京担当の営業課長・吉村剛さんが、「はちこう」という居酒屋で、宴席をもうけてくれた。飲むのはもちろん中尾醸造の「誠鏡」である。その酒銘は、杯に注いだ酒の表情を鏡にたとえ、蔵人の誠の心を映しだしてほしいという願いを込めてつけられたという。
最初に飲んだのは、八反錦55%の特別純米酒であった。「これはすごくコクがあって力強い、パワフルなお酒ですね〜」と言うと、「関東圏の人が飲むとそう感じるんでしょうけど、広島の酒はだいたいこんな感じですよ」と中尾社長。
次に飲んだのは主力商品の「純米たけはら」。杯の中の酒はちょっと黄色っぽい。「うちはほとんど炭を使わないからです」と中尾社長。炭というのは炭素濾過のこと。これをすると色は透明になるが、同時に味もぬけてしまうと言われている。これは酒らしい酒で、「酒を飲んでいる」という充実感たっぷりだ。旨い! しかも、聞けばとてもリーズナブルなお値段だとか。
「それは、昔の一級酒を純米に変えたときの商品なので、価格を極力おさえているからなのです。そのうえ2007年の第1回IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)で銅賞を受賞しているんですよ。このお値段でこの品質はなかなかないと思います」
ほ〜、なるほど、そうなのか。「燗にしてもいいですよ」と言うので、お燗にしてもらうと、やや辛口になり、スイスイいけるではないか。冷やでよし、燗でよし。そしてお買い得。なんと素晴らしい! 明日の取材ががぜん楽しみになってきたのであった。
高温糖化もと発祥の蔵
中尾醸造では、現在1800石を杜氏以下7人の社員と、冬場だけの応援2人の計9人で造っている。杜氏の今岡功二郎さんは、20年前から勤めていて、杜氏になって11年目である。3代前から杜氏の家系という、生粋の広島杜氏だ。
広島杜氏は、元来広島吟醸という、濃厚で香りもしっかりあるタイプの酒を得意とする。鑑評会に出品する吟醸酒においては、先代の社長が「鑑評会用の酒ではなく、市販酒に一生懸命になれ」という方針だったので、特別な仕込は行わず、大吟醸酒の中から出品をしている。
精米所には3台の精米機があり、全量自家精米。純米酒をはじめ一般酒に使う米は地元の新千本という飯米が中心だ。寿司のシャリとして指名が多い、表面がつるっとした米だという。広島では酒造米としても人気の米で、タンパク質が少なく、アミノ酸が出にくいのできれいな酒になる。また、高精白にしても割れにくいなどの特徴がある。
平均精米歩合は55%だが、大吟醸は45%までしか磨かない。「自家精米の精度がよいこともありますが、それ以上磨いてもディメリットが増えてきます。磨くことに頼りすぎる風潮がありましたが、手をかけるべきところはむしろ他にあります」と中尾社長は言う。
中尾醸造は、高温糖化酒母の発祥蔵としても知られている。先々代の社長が、15年間に渡る研究の末、リンゴの表皮から抜群の芳香と爽やかな酸味を生成する酵母を発見。後に「リンゴ酵母」と名付けられたが、この酵母を最大限に生かす方法を探して、更に高温糖化酒母に行き着いた。
水と麹と蒸し米を55度で8時間おくと、無菌状態の甘酒ができる。これを20度に冷まして酵母を植えて発酵させると、蔵つき酵母などが入らないので、純粋な酵母のまま酒母ができるのだ。特に酵母の性能を生かしたいときは、高温糖化酒母がいいという。
酒母、搾り、ふかしは平成7年に建てた新工場で行い、仕込み室と麹室は昭和7年の古い蔵にある。麹室は、一番良い状態まで置いておいても、次の引き込みができるような、余裕のあるつくりになっている。大吟醸は麹蓋を使い、ほかは、箱か円盤状の半自動製麹機で造る。中仕事、仕舞い仕事の手を抜かないのが、良い麹を造るポイントだ。
仕込み室にあるのは密閉式のタンク。純米は3トン仕込み、吟醸は2トン仕込み、大吟醸は1トン仕込みである。コンピュータでの集中管理はしておらず、温度計で計り、まわりの冷水の量をコックで開け閉めするという原始的な方法をとっていた。
独特の酸が出る「リンゴ酵母」
蔵見学の後、別室で利き酒をさせてもらった。まず、昨日飲んだ「純米たけはら」をあらためて利いてみる。やはり甘みとコクがあり、しっかりとした良い酒だ。次は、雄町好きの私には気になる「純米吟醸雄町」。サラリとしている中にも、雄町らしい骨のある酒に仕上がっている。特別本醸造の「超辛口」は、日本酒度プラス8。スッキリしていてすごく飲みやすい。この酒は関東で人気があり、かなり熱燗にしても、くずれることがないという。
中尾醸造では、「誠鏡」のほかに、もうひとつ「幻(まぼろし)」という酒も造っている。これは、主に蔵独自のリンゴ酵母を使ったシリーズだ。「純米まぼろし」だけは9号酵母だが、吟醸酒のようなフルーティーな香りがほのかにあって、きれいな酒。けっこう気に入った。もっともおいしかったのは、「純米大吟醸 まぼろし赤」である。これは香りがリンゴっぽく、きれいな酸が出ていてワインのよう。これはちょっと似たような酒が思いつかない。この蔵ならではの個性があっておいしい酒だ。
文句なく旨かったのは、「純米大吟醸 まぼろし黒」。これは2007年IWCでなんと金賞を受賞した酒である。ぐぐっとくる厚みとコクがあり、さすがな旨さであった。
おもしろい酒もあった。これは日本酒ではなく、レモンの甘味果実酒。ひらたくいえばレモンワインである。瀬戸内海に浮かぶ大崎下島は、国産レモンの発祥地であり、ここでとれる大長レモンは天然レモンの超一級ブランドだ。このレモンの搾りたて果汁を発酵熟成させたのが「檸檬酒」である。濃厚なレモン味たっぷりで、香りもすごくいい。よくあるおみやげ用果実ワインとは一線を画す、優れた酒である。
最後に今岡杜氏に話をきいた。一番神経を使うのは、原料処理だという。「精米、米洗い、浸漬で、すべてが決まってくる。逆に言えば、ここをしっかりしていれば、後で手をかける必要がない」と言う。「条件は毎日違う。雨が降ったり、気温が高かったり。自然と生き物が相手だから手強いですよ。いつも同じことをやっていては、同じ酒はできない。もろみ管理も、一本ずつタンクの状態を把握していなければならない。子供と一緒で育ててやるという感覚です」
「手造りと機械では、どちらが優秀ですか?」という質問には、そくざに「それは人間の手をかけた酒が一番です」と答えた。「麹でも、一番優秀なのは麹蓋ですよ。あれがわかっていないと機械が使いこなせない。平成7年に製麹機を入れましたが、はじめは機械を使うのに精一杯でしたね。結局使いこなすまでに5〜6年かかったかな。機械の麹がよくなってきたのはここ4〜5年のことです」そして、「私が蔵に来た20年前は、今の4倍は造っていて、蔵人も4倍いました。そのときはすべて手造りで。だんだん、人を減らして機械を入れるようになったけれど、基本はまったく変えていません」と付け加えた。
「誠鏡」の酒は銘の通り、造り手の誠を映す鏡のようであった。この酒を文字通り「鏡割り」して、ふるまってもらえる蔵開きのイベントがあるという。2009年の開催は4月4日。竹原の町の散策もかねて、出かけてみてはどうだろう。きっとおいしい酒と素敵な造り手に出会えるはずである。
中尾醸造株式会社
創業明治4年 年間製造量1800石
広島県竹原市中央5丁目9-14
TEL0846-22-2035
http://www.maboroshi.co.jp
1はちこう 広島県竹原市中央1-3-13 TEL0846-22-4480
2竹原の町並み
3甑
4高温糖化酒母の装置
5酒母室
6仕込み室
7蒸し取り
8麹の種切り
9円盤状の製麹機に引き込む
10仕込み作業
11蒸し米を枯らす
12瓶詰めライン
13誠鏡・まぼろしのお酒
14中尾社長(右)、今岡杜氏(左)とともに