私は仕事柄、「一番好きな酒はなんですか?」とよく聞かれる。しかし、日本酒は好きだし、焼酎も好きだし、ウイスキーもブランデーも、グラッパも好きだし、ワインも好きだし、ビールも好きだし……ということで、正直返事に困る。で、結局「個性の強い酒が好きです」など言ってとお茶を濁している。ただし、「今一番好きな日本酒は?」という質問には、自信を持って「滋賀の七本鎗です!」と答えている。そう、「七本鎗」は、今私が最も注目しているお酒なのだ。
北陸本線の木ノ本駅を降りたのは午後6時過ぎで、あたりは暗くなっていた。ここには去年も来たことがある。と思ってホームに降り立ったが、はて? こんなに大きな駅だったっけ? 妙に巨大でピカピカの駅にとまどい、まったく方向感覚が定まらず、あてずっぽうに歩き出すと、記憶にある駅前の風景が開けた。よかった、変わったのは駅だけで町はそのままだ。旧駅舎も取り壊されずにまだ残っていた。こっちのほうが、町の風情にとけ込んで、身の丈にあった駅だと思うのは私だけだろうか。JRの仕業か木之本町の計略かわからないが、無駄なことをするものだ。
5分ほど歩いて駅前の草野旅館へ。そこでしばし待っていると、「七本鎗」蔵元の冨田泰伸さんが現れた。冨田さんと初めて会ったのは4~5年前、日本酒関係のパーティーだった。当時まだ冨田さんは東京に住んでいて、それをいいことに深夜まで引っ張り回して飲み歩いた記憶がある。それからすぐ故郷で酒造りを始めた冨田さんとは、一緒に飲み歩くことはなくなったが、私が「七本鎗」の味に惚れ込んでしまい、こうして蔵に押しかけるのも2度目なのである。
冨田さんが手に提げてきたのは、「七本鎗」の純米酒としぼりたての薄にごり。とくに純米酒は精米歩合が80%のもので、力強く旨味がたっぷりとあり、「七本鎗」らしさがよく出ている。
「でも、以前よりちょっと洗練された感じがしますね」
と私が言うと、
「そうなんですよ。古くからのお客さんには、『都会に魂を売った』とか言われてるんです」
と冨田さんは笑う。
「いやいや、あか抜けて確実においしくなってますよ。う~ん、さすが、日々進化してますねー」
もともと旨かった「七本鎗」だが、冨田さんが蔵に戻って酒造りを始めてから、どんどんおいしくなっているという評判は本当だ。これからもどう変わっていくのか、本当に目が離せない。
300石を5人で醸す
翌朝、5時半。まだ暗いうちから蔵へ向かう。「七本鎗」の冨田酒造は北国街道沿いにあり、なかでも木之本宿は、この道を北へ向かう者にとって、「さーて、ここから山道」と気合いを入れる場所にあった。ここは北国街道の平野部最北端の宿場町として、また木之本地蔵院の門前町として栄えたところで、今も古い町屋が軒を連ねている。冨田酒造も江戸末期から明治初期に建てられた風情あふれる蔵である。
冨田酒造の歴史は古く、創業450年以上、冨田さんで15代目という老舗だ。蔵にある扁額には、北大路魯山人が冨田家に投宿したさいに書いた「七本鎗」の文字が刻まれている。この銘柄は、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の合戦で活躍し、秀吉を天下人へと導いた七人の若武者「賤ヶ岳の七本槍」にちなんだもので、「勝利の酒」というおめでたい意味がある。趣あるラベルの文字は、北大路魯山人の筆によるものだ。
蔵の中では、出麹の作業が始まっていた。古くから勤めている能登杜氏を筆頭に、冨田さんを含めて総勢5人での酒造りだ。麹室は去年新しくしたというが、まだまだ小さい。機械は何もなく、完全な手造り。「麹米は?」と聞くと、「玉栄」という滋賀の酒米だった。掛け米も「玉栄」が多いという。同じ滋賀の酒米である「吟吹雪」もよく使っている。
「滋賀の地酒なので、米からこだわって地元のものを使っています。ゆくゆくは、自分の田圃で育てた米でも酒造りをしたいです」
と冨田さんは言う。
添えの仕込みは添え用の小さいタンクで行う。手間はかかるが、このほうがきめの細かい温度管理ができる。だが、この一手間をやっていない蔵は意外と多い。
「そうなんですか? うちでは昔からこれだったから、普通だと思ってますけど」
と冨田さんは屈託がない。
槽(フネ)は贅沢に2台。どちらも酒袋にもろみを入れる昔ながらの方式で、ヤブタといわれる圧搾機ではない。これも手間がかかるが、蔵人さんたちは黙々と作業に精を出している。ちょうど本日は50%の純米吟醸を搾る日にあたっていた。小さな蔵では毎日搾りがあるわけではないから、これはラッキーだ。遠慮無く槽口からたれる搾りたてを飲ませてもらう。フレッシュで甘みがあり、旨い。
その後、場所を移して利き酒をさせてもらった。「しぼりたて 吟吹雪 純米60%」は、地元の高校生が育てた米から造った。麹の香りがいっぱいで、コクと甘みがありおいしい。「吟吹雪 純米吟醸」はちょっと辛口系だがちゃんと旨味もある。「玉栄 純米吟醸」はボディがあってやや酸がある、「七本鎗」らしい酒だ。「うすにごり」は昨日飲んだ開けたてより、さらにまろやかになっている。「純米80%」は、コクがありがっちりと骨太な酒で文句なく旨い! 「吟吹雪 純米吟醸 2年熟成」は、まろやかななかにもスッキリとした飲み口。「14号酵母 純米 無濾過」も2年熟成で、黄色い色が付いているがひねはなく、酸とコクのバランスが良く旨い。「おり酒」はタンクの底に沈んだおりを集めた酒で、意外とべたべたせず、なめらかでスッキリしている。酒の神様がこの世にいたら、確実に「七本鎗」には神が宿っている、そう思わせるような良酒ばかりだ。
滋賀の地酒を全国へ、そして世界へ
冨田さんは、東京で会社勤めをした後、東京滝野川の醸造研究所(現在の酒類総合研究所)で数ヶ月酒造りの修行をした。その後、世界を旅して、ニューヨークの日本酒バー、フランスのワイナリー、スコットランドの蒸留所などを見て回った。
「世界を見て、日本酒業界は狭すぎるな、と思いました。ワイナリーでは畑が目の前にあり、この畑でブドウを作り、そのブドウでワインを造り、地下にはセラーがあって、そこで試飲ができる。そうした環境にあこがれましたね。だから滋賀にいながら兵庫県産の山田錦で酒を造るのは、何か違うなと。うちの酒に玉栄が多いのはそういうわけなんです」
蔵に戻ってきてやったことはほかにもある。冷蔵庫を増やし、生酒をマイナスで保存できるようにした。9割が地元消費だったのを、東京や大阪、京都にも売り先を拡大した。これからは、麹室を大きくし、貯蔵庫も作って、瓶詰めラインも作りたいと思っている。目標は3年以内に今の300石から400石にすることだ。
「ただ、大量生産にはしたくないですね。もろみ1本1本に目が届く範囲で拡大していきたいです。そして、15%くらいは海外に売りたいです。今でも3%はニューヨークで売っているんですよ。僕自身も年2回は海外に行っています。もっと外に出ていきたいですし、もっと外国人を驚かせたい。日本酒にはそういうパワーが絶対あると思うんです」
ただし、あくまでも地元にこだわる姿勢は変わらない。
「米も水も人も、地元のものでなければ意味がない。うちの蔵人はみんな地元農家の人。だから、自分が作った米で酒造りをしているんです。そうやって、ここ北近江から、世界に発信していきたいんです」
北近江の自然と風土が育んだ酒
帰りの列車までまだ時間があったので、冨田さんに町を案内してもらうことになった。まずは、蔵のすぐ近くにある木之本地蔵院へ。ここは目の病に効くと言われているお地蔵様で、八月には4日間にわたり大縁日が催される。そこで「御戒壇めぐり」というものを体験した。呪文を唱えながら壁を手で触れて真っ暗な回廊を進み、手に錠前が触ったら願いが叶う、というもの。回廊には一筋の光も入らず、目を開けていても真っ暗で何も見えなかったけれど、なんと錠前らしきものがあったのだ。これには冨田さんと二人で「あったー!」と大はしゃぎ。これできっと冨田さんの夢も叶うはずだ。
次に、賤ヶ岳の麓まで行った。山頂まではリフトがあるのだが、冬は運行していないとのこと。頂上からは、琵琶湖八景の一つに数えられる絶景が開けているというが、雪の中、登山することは断念した。夏にまた来よう。
琵琶湖もすぐ近くで、海かと思うくらい大きかった。ただし、波はなく、水面は鏡のように静かだった。ここは湖の北の端にあたり、水質汚染が進んでいる南側と比べると、まだ水がきれいなのだそうだ。
さて、琵琶湖といえば、鮒寿司だが、
「すごくおいしいお店があるんですよ。でも今日は、やっているかどうか……」
と冨田さん。電話をしてみると、ラッキーなことにあいているという。本来なら予約をしなければいけない店らしいのだが、そこは冨田さんの人徳である。
店は「徳山鮓」といって、木之本のとなり、余呉にあった。店内の大きな窓からは、ワカサギ釣りで有名な余呉湖を眼下に見下ろせる。素晴らしいロケーションだ。ここのご主人、徳山浩明さんは、もともと和食の料理人だったが、小泉武夫先生に師事して鮒寿司を学び、今では鮒寿司の第一人者ともいわれるほどの、すごい人らしい。
私は以前、お土産ものの鮒寿司を食べたことがあったが、クセがあって、塩辛く、正直言って、おいしい食べ物だとは思わなかった。それがどうだ。徳山さんの鮒寿司は、甘みすらあって、極上のチーズのようではないか。これにしっかりとした「七本鎗」の酒がまたよく合う。徳山さんも、「七本鎗」がお気に入りで、日本酒は胸を張って「七本鎗」をおすすめしているという。
ラッキーなことは重なるもので、この日は鹿肉と熊肉が入ったばかりであった。鹿肉は鹿刺しに、熊肉は熊鍋にしていただく。これが臭みもクセもなく、滋味たっぷりで旨かった。最後に出てきたのは、鮒の子のお茶漬け。これも極上の珍味で、やさしく上品なお味であった。
気がつくと、冬の午後の柔らかい日差しが、余呉湖の湖面を照らしていた。「七本鎗」のふるさとが、こんな素敵なところだとは思わなかった。ここで生まれ育ち、今酒造りをしている冨田さんもただ者ではない。しっかりと地域に根ざし、文化や風土に育まれた酒だからこそ、世界で勝負できるのではないか。冨田さんの夢はきっと実現する、そう確信して滋賀をあとにしたのだった。
冨田酒造有限会社
年間製造量300石
滋賀県伊香郡木之本町木之本1107
TEL 0749-82-2013
http://www.7yari.co.jp
1 蔵内部
2 出麹
3 米のはりこみ
4 櫂入れをする冨田さん
5 湯気を上げる甑
6 蒸し米を掘り出す
7 種麹をふる
8 麹の引き込み
9 掛け米を運ぶ
10 槽に酒袋を並べる
11 搾りたての酒を飲む。おいしい!
12 試飲販売所
13 試飲させていただきました
14 「七本鎗」のお酒たち
15 冨田泰伸さんとともに
16 木之本地蔵院
17 賤ヶ岳を臨む
18 琵琶湖
19 徳山鮓 滋賀県伊香郡余呉町川並1408 TEL 0749-86-4045
20 鮒の子のお茶漬け
21 鮒寿司