「李白」は私の好きな酒のひとつである。旨みと幅がありながら、スッとキレる上品な味わいがなんともいえない。酒と人生をテーマに詩を書いた、中国唐代の詩人の名を冠しているところも粋である。東京で普通に手に入る酒だったので、近郊のものかと思っていたが、かなりあとになって島根県は松江のものと知った。
松江といえば、宍道湖、松江城、小泉八雲だ。歴史と文化に彩られ、水郷都市として景観の美しさも群を抜いている。私は取材だというのに、観光旅行にでも行くような気分で、ワクワクと松江に赴いた。
取材前日の夜、宍道湖の湖畔にある旅館「大橋館」で、蔵元の田中裕一郎さんが宴を催してくれた。妹の田中路子さんと、次の取材先である「月山」の吉田智則さんも一緒だ。
それぞれ自慢の酒を何本か持ち寄っていたが、中でも私は「李白 純米大吟醸」が気に入った。45%まで磨いたその酒は、大吟醸らしい華やかさがありながら、食中酒として料理をじゃませずひきたてる。絶妙のバランスにうなってしまった。宍道湖のシラウオやシジミ、日本海のカニが旨い、旨い。やっぱり和食には日本酒だ。
平均年齢30歳の若い力で醸す
田中さんが、「今夜10時から麹の仕舞い仕事があるのですが、見ますか?」と言う。夜の仕事を見る機会はあまりないので、ありがたく見せてもらうことにした。
蔵へ行くと、田中さん自ら先頭に立って、麹室で作業開始だ。箱に盛った麹に手を入れる。35%の大吟醸は蓋で、普通酒は「杜氏さん」という機械で麹を造り、七割を占める特定名称酒は、箱で造っているという。私も少しだけお手伝いしたが、麹の量は多いし、暑いしで、重労働である。だが、従業員の泊まり勤務はなく、夜の作業も通いでしているとのことだった。
翌朝8時、蔵の詰め所には蔵人さんたちが集まってきた。総勢9人。平均年齢30歳と若い製造部隊だ。昨日一緒に飲んだ路子さんもいる。もちろん田中さんも酒造りをする。田中さんも路子さんも、東京農大出身。田中さんは3年前に、路子さんは今年から蔵へ戻ってきた。ほかにもう一人、東京農大の後輩が働いていて、「とても優秀ですよ」と田中さんは言う。
全員総出で麹に手を入れ、出麹の作業が始まった。そのあとは、また全員で麹の盛りと切り返しだ。「麹屋」など麹の担当がいて、その人だけに任せるというやり方はしていないという。「担当制はとっていません。みんなで出荷まで全部やる。全員がなんでもできるようにと考えています」
米は連続蒸米機で蒸す。甑は300キロしか入らない小さなものがひとつあり、35%の大吟醸用に使われている。蒸し上がった米は、手で運んで麹室に引き込む。その後は酒母の仕込み。酵母の入ったタンクに麹と蒸し米を投入する。酵母は主に9号系だが、田中さんが帰ってきてから花酵母にも取り組んでおり、ぼたん、ベコニア、つるバラ、しゃくなげ、さくら、アベリアなどの酵母を使っている。
仕込み室には、普通酒用の総米2800キロのタンクと特定名称酒用の総米1400キロのタンクが並ぶ。タンクの温度管理は自動制御だ。大吟醸は、別の部屋にある総米300〜750キロのタンクで仕込んでいる。
最後に精米所を見せてもらった。精米機は1台。平均精米歩合54%、一部委託精米をしているが、ほぼ全量自家精米だ。全量、産地のわかる酒造好適米を使用しており、一般米、素性のわからない米、破砕米などは使っていない。そのため、一時世間を騒がせた汚染米の被害とは無縁だった。
「精米は、55%で24時間ほどかかります。もっと精米歩合をあげたいと思っても、精米機が1台しかないのでこれ以上は無理ですね。あと、精米した後枯らす時間がじゅうぶんとれないのも悩みです」
地元30%、県外45%、海外25%
「李白」には、蔵併設の立派な試飲コーナーがある。そちらへ移動すると、さすが観光地の蔵だけあって、平日の昼間なのにすでに先客がいた。若い男性で、一人旅をしているという。「李白」が好きで、ぜひ蔵見学もしたいとのこと。「じゃ、僕が案内しますよ」と、田中さんは気軽に彼を蔵に連れて行ってしまった。蔵見学を受け入れるのも、大事な日本酒啓蒙活動である。
さて、テーブルに試飲用のお酒が並んでいるので、さっそく飲んでみよう。「雄町 純米吟醸生原酒」。これはコクと甘みがあるのに、後味はスッキリとしていて、いかにも「李白」という酒だ。「特別純米」は、酸があってしっかりしている。お燗にしても良さそうだ。花酵母を使った「山廃 生原酒」は独特の酸があるのだが、山廃にありがちなゴツい酒ではなく飲みやすい。
「しぼりたて生 特別純米」は、旨みたっぷりで嫌みのない甘さがいい。「辛口純米 やまたのおろち」はどっしりとした旨口の辛口。大吟醸の「月下独酌」は、さすが高級酒、スーッと入っていくらでも飲めそう。「こだわり 山廃純米吟醸」は複雑な旨みがあり激ウマ! 絶賛していたら、路子さんがお燗にして持ってきてくれた。温めるとさらに旨みが増して、酸のバランスもちょうど良い感じ。う〜ん、ウマい!
カタログを見ると、まだまだいろんなお酒があるようだ。余計なお世話だが、2000石にしては、かなりアイテム数が多い方ではないだろうか。「そうなんです。少量多品種になりすぎなので、アイテム数はもっと絞り込みたいですね」と田中さん。さらに造りに関して聞くと、「連続蒸米機をやめて甑にしたいし、麹室はもっと広くしたいし、フネももう一台ほしい」とのこと。これからまだやりたいことがたくさんありそうだ。それも現在のブランド力があるからこそである。
「李白」が県外に出て行ったのは、田中さんのお父さんで社長の田中竹次郎さんの時代だった。東京進出は、普通酒に至るまで全量酒造好適米にした昭和53年頃のこと。リベート全盛期にリベートを一切やめ、品質主義で売っていった。「東京の風は全国に吹く」と思い、実際、地方の意欲のある酒販店は皆東京の先進的デパート、酒販店に視察に来たため、東京進出後は全国からオファーが来たという。
海外進出は20年前の香港が最初だった。香港西武の立ち上げに関わり、日本酒売り場を、西武のスタッフと一緒に作ったことがきっかけだ。「もともと旅行好きだったものですから、香港も気軽に通い始め、むこうの人たちと議論しながら仕事をするのが楽しかったですね」と田中社長。そのときの人脈は今でも生きていて、香港で「李白」と言えば地酒のトップブランドである。
アメリカ進出は10年ほど前からだが、サンフランシスコで、ワインの流通業者であるワインコネクションと出会ったことが大きな飛躍となった。「ワインの手法で日本酒を売っていくことの大切さを知りました。たとえばラベルに銘柄の英語名を入れるとか、販売ツールとして精米した米の少量サンプルを持ち込むなどの提案は、ワイン業者でなければ出てこない発想です」ちなみに「李白」の英語名は「Wandering Poet(吟遊詩人)」である。
次期社長である田中さんは、今後どんな酒造りをしていくのだろうか。「自分はただの造り手じゃなくて優れた経営者でなければいけないと思っています。良い酒を造れば勝手に売れるという時代ではないので、市場から商品コンセプトを組み立てて、酒を造らなければと思います。目指すのはマニアから一般人まで名前を知っている酒、そしてスーパやコンビニの棚にもある酒。それには規模を大きくするより、アイテム数を減らして、品質と特定名称酒比率をもっと上げていく方向で考えています」
「李白」のさらなる飛躍は、田中さんの経営手腕にかかっている。
李白酒造有限会社
創業明治15年 年間製造量2000石
島根県松江市石橋町335番地
TEL0852-26-5555
http://www.rihaku.co.jp
1夜、麹の手入れをする
2出麹
3麹の切り返し
4大吟醸の仕込み室
5連続蒸米機で米を蒸す
6麹室に蒸し米を引き込む
7仕込み室
8米洗い
9試飲コーナーで
10「李白」のお酒
11田中裕一郎さん、路子さんとともに
12松江城