「蔵は辰野町ですが、私は松本市内に住んでいますので、取材前夜は松本に泊まってください。松本で飲みましょう!」と言われるまま、「夜明け前」の営業課長、小野庄平さんおすすめのお店にやってきた。「食い飲み屋 BUN」という、蔵を改装したおしゃれなお店で、「夜明け前」のお酒がそろっているという。
せっかく松本に来たのだから、と松本城まで足をのばし、城下町の情緒たっぷりの縄手通りを散策がてら店に向かったので、体は冷えていた。そこでまず熱燗で乾杯することに。山田錦60%の純米酒である。口当たりはやわらかく、後味はスッキリ。全然ゴツくない純米酒だ。
スイスイと杯はすすみ、次は特別本醸造「辰の吟」の生酒を冷やでいただく。日本酒度がプラス4なのに、すごく甘みを感じる。お店の管理が良いのか、生ヒネもなく、きれいな生酒だ。
やや酔っぱらってきたところで、アルコール度数を14.5度まで落とした生貯蔵酒が出てきた。薄まった感じや水っぽさはなく、旨みがありながら飲みやすい。これもスイスイ飲んでしまった。
つまみのほうれん草サラダは、濃い味わいの素材に、マヨネーズ味のドレッシングがからまって、絶妙に旨い。信州名物の馬刺しは、肉厚の赤身で食べ応えあり。噛めば噛むほど滋味たっぷりだ。
最後はにごりをチョイス。原酒なので18度あるのだが、アルコールっぽさは感じさせず、適度な甘みがあってグイグイと飲み過ぎてしまった。あまりにも飲みやすい酒ばかりだったので、仕事がらみの飲みでは酔っぱらわない私が、かなり酔いがまわり、ヘロヘロになってしまった。「夜明け前」、恐るべしである。
たたきあげの杜氏は44歳
蔵は、宿場町の風情が残る辰野町小野の一角にあった。標高810メートル。空は澄み、水清く、緑豊かな山紫水明の地である。
「夜明け前」という酒名は、島崎藤村の小説「夜明け前」に由来する。昭和40年代に、木曽方面に販路を広げるに当たり、社の意向で相談役が藤村のご長男である楠雄氏にかけあって、銘をいただいたとのことである。
そのとき楠雄氏は、「名前をつけて販売するについて約束してほしい。命に代えても本物を追究する精神を忘れることなく、一生を通じて味にこだわって営業してほしい。私は商売や酒造りのことはよくわからないが、天下の『夜明け前』として堂々と、日本酒をご愛飲されている方のために真実を伝えてがんばってほしい」と語られたそうだ。もちろん、その誓いは今も守られている。
小野さんは、営業課長という肩書きだが、社長のいとこにあたり、造りの時期には蔵の仕事も手伝っているという。「なんでも屋ですよ」と笑うが、社長の右腕として、小野酒造店の屋台骨を支えている。
朝一番の作業は、甑から米を掘り出すことだ。麹米は放冷機を通さず自然放冷。エアシューターも使わず、麹室の前までかついで運ぶ。そこで床の上にすだれを敷いて広げ、適温まで冷ます。見ていると、まったく温度計を使わない。杜氏に聞くと、「手の感覚だけですよ」と言う。
小林幸雄杜氏は44歳で、20代から南部杜氏について修行をした「たたき上げ」だ。杜氏になって今年が3造り目である。製造は杜氏を含め7人で行うが、常に1人は交代で休んでいるので、実質6人。これで1200石を造る。
平成15年に新築した木造の麹室は、広くて新しくてきれいだ。新品の麹蓋が室の前に積まれていたが、これは使わず箱に盛る。「麹蓋は新しすぎると木の香りがきつい。1年寝かせて来シーズンから使います」ということだった。
「盛りのときは40度くらい。ヒーターを入れて温めています。種付けまではそのくらいで、あとは30度くらいに落としていきます」と小林杜氏。特定名称酒に限らず、普通酒まで同じように手造りの麹である。
仕込み蔵には12本の開放タンクと3本のサーマルタンクが並ぶ。吟醸と純米吟醸が1.2トン、本醸造が1.5トン、普通酒が1.8トンと、けして大仕込みはしない。高泡になったもろみの上で、泡切り機がくるくると回っていた。酵母は7号、9号、10号は泡あり、アルプス酵母は泡なしなのだそうだ。
小林杜氏によると、泡ありとなしでは、微妙に味に違いが出るそうで、「泡なしのほうは酸が少なく、泡ありのほうは発酵がゆっくりですね。酒質に関して言うと、秋上がりがするのは泡ありのほうなので、自分は泡ありを主に使っています」ということだった。
仕込み蔵の下に回ると、タンクひとつひとつを冷やせるように、冷気の通るパイプがついていた。「本来は、秋の造り始めや3月頃に、タンクを冷やせるようにと取り付けたのですが、最近の暖冬で冬場でも稼働することがよくあります。いずれにせよ、暖冬対策はこれでバッチリです」
大吟醸は冷房の入る別室に、600キロの開放タンクとサーマルタンクがそれぞれ2本ずつあった。造りが終わるとここは瓶貯蔵の部屋になる。ほかにも屋外に冷蔵コンテナがあり、特定名称酒はすべて瓶燗、瓶貯蔵している。
この日最後の作業となる米洗いが始まった。ストップウオッチを使った限定吸水。精白50%以下の米のほか、麹米はすべて手洗いをしている。ここでも麹に手をかけている様子がうかがえた。
飲みやすく飲み飽きしない
蔵を見た後は、別室にて試飲。季節柄、生酒が中心だ。ちなみに特定名称酒の割合は6割で、すべて山田錦を使用している。
「特別本醸造 辰の吟 なまざけ」は、コクと酸と旨みがぐぐっとくる骨太な酒だ。「純米吟醸 生一本 なまざけ」は、やや酸があり、これはお燗にもよさそう。「大吟醸生」はフルーティーな香りが穏やかで、食中酒にも向く大吟醸である。「吟醸しぼりたて生」は、コクと旨みがありつつきれい。「からくち夜明け前」はスッキリしていて飲み飽きしない。
秀逸だったのが「大からくち」。これは当初ブレンド用に造られた、アルコール度21度の原酒なのだが、単品で商品にしてみたら、大ヒットしてしまったそうだ。飲むとまったくアルコール臭はなく、むしろやわらかい口当たりでスイスイいけてしまう。危険な酒だ。「夏場に氷を入れて飲むのもいいですよ」と言うので、氷を入れてみたら、骨格がしっかりとしていてまったくくずれず、薄まった感じはない。これなら炭酸で割ってもおいしいかもしれない。
次々と試飲をしているところへ、小野能正社長も仕事の手を休めて来てくれた。「うちは、吟醸酒、純米酒ばかりでなく、特に地元での需要の多いレギュラー酒にも力を入れています。高品質のレギュラー酒はとても大切で、原料米はすべて長野県産の美山錦を使用し、添加アルコールも様々な工夫でなじみをよくしています」
たしかに、飲んだのはほとんどアル添しているお酒だったが、アルコール臭さはなく、口当たりはやわらかかった。そして飲みやすく飲み飽きしない。
「お客様が飲んで得をしたと思われる酒、欲を言えばもう少し華のある酒が造りたいですね」と小野社長。いやいや、どのお酒も芯のしっかりした良酒だと思いますよ。
私にとって「夜明け前」は、「夜明け前はもっとも暗い」ということわざの通り、「今は真っ暗だがこれから明るくなる」という前向きなイメージがある。何かに行き詰まったとき、壁にぶつかったときに、勇気をもらうためにも飲みたい酒である。
株式会社小野酒造店
創業1864年 年間製造量1200石
長野県上伊那郡辰野町小野992-1
TEL0266-46-2505
1食い飲み屋 BUN 長野県松本市2-10-15 TEL0263-35-9897
2馬刺し
3湯気を上げる甑
4蒸し取り
5麹米を運ぶ
6自然放冷
7仕込み蔵
8もろみタンクでは泡切り機が活躍
9仕込み作業
10麹の種切り
11大吟醸の仕込み蔵
12鑑評会用の斗瓶
13限定給水
14浸漬
15夜明け前のお酒
16小野庄平さんとともに