天寿酒造の大井建史社長に「蔵見学に行きます」と連絡すると、「じゃあ、上野から寝台特急でおいでよ。そうすると、ちょうどうちの始業時間に間に合うから」という返事。おお、それは名案! 鉄道大好きな私は、ワクワクしながら寝台特急あけぼのに乗った。もちろんお弁当と酒持参だ。
列車は21時45分に上野を出発し、レールの音を子守歌にして寝ているうちに、翌朝6時9分羽後本荘到着。ここでローカル線の鳥海山ろく線を待って、トコトコと40分かけ、7時45分に終点の矢島に着いた。駅から蔵までは歩いてすぐ。大井社長の言うとおり、始業の8時には余裕で間に合ったのだった。
応接間で待っていると、作業服を着て長靴をはいた大井社長が登場。いつも蔵を見回っているので、こうしたいでたちなのだろう。さっそくお話を伺うことになった。
人、米、飲み手すべてが地元
天寿酒造のある矢島町は、鳥海山の伏流水がわき出る水の良い土地であり、そのため昔は酒蔵が5〜6軒あったそうだ。しかも、日本酒消費量日本一の秋田県にあって、さらにその中で矢島町が一番なのだとか。「つまり、ここは世界一日本酒を飲む町ということですね」と大井社長。そんな天寿の酒は、7割弱が旧2級酒、つまり普通酒だ。地元消費率は8割というから、まさに地域密着型の地酒である。
大井社長は「地酒とは、地元の人間が、地元の米で造り、地元で飲まれる酒」と言う。天寿の場合、杜氏を筆頭に、山内村からの蔵人と地
元社員の計15名で3000石を造っている。全員が酒造技能士の資格を取得していて、半数以上が一級保持者だ。現在の杜氏は今年で6造り目の佐藤俊二さん。40代の若い杜氏だが、蔵人としての経験は20年以上、全国で3回は金賞を取っている。
「最近は鑑評会にあえて出品しない蔵もあるが?」という問いに、大井社長はこう答えた。「鑑評会には、蔵の緊張感、集中力、最高のものを造る努力、そして賞を取ったときの達成感という酒造りの喜びが凝縮されている。だから出品は続けます」
ただ最近は、濃醇系の吟醸がはやっていて、金賞酒にはそういう酒が多いが、「はやりに流されたくはない」と言う。「天寿はやわらかい女性的な酒。インパクトは弱いが、しっかりした造りでよく見ると光っている。飲んで疲れる酒ではない。これからもそういう酒を目指していきます」
また、米は昭和58年から「天寿酒米研究会」という契約栽培グループを作り、美山錦と酒こまちを栽培し、特定名称酒は本醸造から、ほぼすべてこの米を使用している。一部アイガモ農法で無農薬米を作り、完全無農薬米仕込みのお酒も発売。そして平成10年には、酒米研究会の美山錦で醸したお酒が、全日空国際線ファーストクラスに採用されている。
酒米研究会の米は、天寿酒造が種籾からすべて供給し、米作りの指導をし、できた米は全量買い取り、分析もするという、徹底した品質管理を行っている。「農家は収量にこだわるから、変に肥料を入れちゃうんですが、そうすると米にタンパク質が増えて、酒に雑味が出る。我々がほしい米とはどんなものなのかを、根気よく伝えていかなけれ
ばいけないのです。また、このあたりはもともと米のよくできる地域で、価格の高いあきたこまちの産地だった。我々はそれ以上の価格で美山錦を買い取らなければならず、はじめはたいへんでした」こうした苦労をしても、酒米研究会を育ててきたのは、「酒造りは米作りから」という天寿酒造の信念なのである。
徹底した原料処理にこだわる
一通り話を聞いた後、蔵の中へ案内されると、ちょうど米が蒸し上がってくるところだった。「蒸しは米を蒸せば終わりではない。放冷機を通して麹室に入れるまでが蒸しの工程なのです」と大井社長。放冷機では、蔵人さんが手を入れて米の温度をみていた。手の感覚が大事で、温度計は見ないという。また天寿では、放冷機にかけてから、80度の熱風をあてる。すると、表面が乾いて中に水分がある、外硬内軟の良い麹米ができるのだ。そのために、手作りの熱風を当てる装置を作ってしまった。実際さわってみると、米はみごとにパラパラになっていた。
麹は機械と箱と蓋で造り分けている。大井社長は機械導入派だ。「手造りってなんでしょう?人間の五感を使って造り、人間がきちんと管理すれば、手造りと言えるのではないでしょうか。人間がいかにして手を抜かず、かつ疲れないように工夫することは大事。そのために機械を導入することも必要でしょう。たとえば麹なら、機械を入れた分、作業に追われないで、いい麹を考えることができます」
もうひとつのポイントとして、この10年徹底して原料処理にこだわってきた。特定名称酒は全量自家精米を行っており、精米所には、Nakano式の手動機があった。「最新式の機械より、こちらのほうが評価が高い。うちはこれを自動化して使っています。精米後も袋に入れて枯らすのではなく、ステンレスの計量器付き通気タンクで枯らします。そのまま重量を量って運べるので、米にどのくらい水分があるかわかるし、運ぶ手間が省ける。その分、手とぎの時間を増やせるのです」と大井社長。
米とぎは、洗米機と手とぎの両方だが、どちらもといだあとに脱水機
にかける。この脱水機も、昔の洗米機の水切り部分を改造して作った。「いい蒸し米にはいい米とぎが必要。いい米とぎとは、よくすすぐことです。釜にはりこむまでが米とぎで、朝までにいかに理想の重量にするかを常に考えなくてはいけません」と大井社長は言う。
最後に見たのは酒母室。ここでは普通の酒母タンクを半分に分けて、半切り桶でもとをたてていた。
「こちらのほうが、温度管理がしやすく、冷却もしやすく、手がきっちり入るんです。どうですか、普通のタンクで手を入れてみますか?」
大井社長はそう言って、空の酒母タンクの前に私を立たせた。
「はい、じゃあ底まで手を入れてみて」
「うわ〜、手がとどかない。逆さになって、頭に血が上ります!」
「ね、きついでしょう。だから半分に分けた方がいいんですよ」
酒母は少し変わったものも造っていた。花から分離した花酵母だ。天寿では、マリーゴールド、つるバラ、シャクナゲ、ベコニア、日々草、なでしこ、アベリアなど5〜6種類を培養している。発酵力が強いのが特徴で、独特の風味や香りがある。ラベルに「花酵母」とは書いていないが、IWCで銀賞を受賞した純米吟醸の「鳥海山」には、なでしこ酵母を使っている。
さて、それではそろそろ天寿のお酒を飲んでみましょう、ということで、利き酒をさせてもらった。まず「純米酒」。ふむふむ、甘みがあっておいしい。「純吟無農薬」はアイガモ農法のお酒。爽やかな酸と甘みがいい味を出している。「美山錦純米初しぼり」は純米にしてはスッキリしていて、口当たりが柔らかい。「鳥海山 純米吟醸」はなでしこ酵母のお酒。甘みと酸味のバランスが良く、香りも華やかだ。「大吟醸」は香り穏やかでスッキリしている。「純米大吟醸」は「大吟醸」より酸がありしっかりしている。最高級の「鳥海の雫」は大吟醸の雫酒。華やかな香りがして、味わいは深く、後味はスッキリ。たしかにいい酒だ
取材も終盤にきて、座敷に料理が並び、お酒が持ち込まれ、大井社長と飲み会ということになった。酒だけで飲むのと料理と合わせるのでは、また印象が違う。料理と合わせると、天寿の食中酒としての力量が発揮され、酒も肴もすすむ。
ここで、地元のジャージー牛乳から造った「ミルシュ」というお酒が出てきた。微発泡していて、アルコール度は7%未満だ。飲むとちょっと乳酸飲料のような味がして、なかなかウマい。これはクリームシチューやチーズに合わせてもいいのではないか。栄養的にも、牛乳の脂肪とタンパク質を抜いたすべての栄養素が入っているというか
らヘルシーだ。
最後に私のリクエストで、地元で飲まれているお酒を飲ませてもらった。それは「鳥海山」という無糖の普通酒。はじめは甘みがきて、後味はサッパリ。酸もあってちょっと純米酒っぽく飲み応えもある。これは冷やでも燗でもイケる! さすがは世界一日本酒を飲む町が認めた味だ。天寿の酒に、心地よく酔った一日だった。
天寿酒造株式会社
創業明治7年 年間製造量3000石
秋田県由利本荘市矢島町城内字八森下117番地
TEL 0184-55-3165
http://www.tenju.co.jp
(キャプション)
1米の蒸し取り
2放冷機に手を入れて温度をみる
3麹の引き込み
4出麹
5精米機
6手で米をとぐ
7米の脱水機
8酒母はこの半切り桶でたてる
9仕込み室
10搾りたてを飲む
11大井建史社長
12佐藤俊二杜氏
13天寿のお酒
14利き酒
15大井建史社長とともに