ここ10年で急成長し、今最も注目されている酒、獺祭。桜井博志社長は、つぶれそうだった酒蔵を継いで、苦労の末、超優良企業に育てた話題の経営者である。おそらくギラギラしたエネルギッシュな人ではないかと勝手に想像していたが、お会いしてみると、意外にもダンディで温和な方であった。
「これから河豚を食べに行きます。獺祭は、なんといっても河豚に合う酒なのでね」と、連れられて行ったところは、一軒の民家。一応、玄関先にのれんがかかっているので、かろうじて店とわかる。「徳山は河豚漁が盛んで、下関より安くて旨い。この店は河豚の卸屋さんなのですが、各界の著名人がお忍びで来るほどの名店ですよ」
2階の座敷に上がると、河豚刺しの大皿がどーんと乗っていた。東京で見る河豚は、皿が透けるほど薄く切ってあるが、ここの河豚は厚切り。淡泊で、味はほとんどないはずの河豚なのだが、この河豚は噛めば噛むほど甘みが広がる。え?河豚ってこういう味だったのか!と感動。旨い!
飲むのは獺祭の「二割三分」。山田錦を23%まで磨いた純米大吟醸だ。おそらく日本一高精白の酒である。これを獺祭専用グラスに注ぐ。ワイングラスをやや小ぶりにしたもので、星印まで注ぐとちょうど90ミリリットルだ。
飲んでまず驚くのは、日本酒臭さがまったくないこと。しかし、水っぽくて薄辛い酒ではなく、お米の甘みや旨味はしっかりとある。大吟醸なので、もちろん香りもあるが、あくまでも上品。この淡泊さと旨味のバランスは、まさに上等な河豚のような酒である。
「うちは、山田錦しか使わず、純米大吟醸しか造っていません。米の磨きで二割三分や、三割九分といった造り分けはしますが、ほかの酒蔵のように、本醸造があったり普通酒があったりしないので、造りはとてもシンプル。だから経験者でなくても造れるのです。今4300石を15人の社員で造っていますが、みんな酒造りの素人です。独自の酒造りをしているので、経験者より素人を教育するほうがいいのです」
次に、「二割三分 遠心分離」が出てきた。これは、ヤブタではなく遠心分離器で搾った酒である。さきほどの「二割三分」と比べると、さらに軽い味わいになって、後口がスッと消えてなくなるようだ。並べておくと、なぜか遠心分離のほうにばかり手が伸びてしまう。それだけ旨いということだろう。
河豚の唐揚げが登場すると、「スパークリングを開けましょう。これが唐揚げに合うんですよ」と、桜井社長。なんでもシャンパンと同じような瓶内二次発酵で、活性の濁り酒なのだとか。ポン!と栓を抜くと、瓶の中でシュワーっと発泡。グラスに注ぎ、シュワシュワしているところをゴクリ。あ、ウマい!コクがありつつサッパリしていて、たしかに河豚の唐揚げにぴったりである。
お次は鍋。ここでひれ酒を頼むことに。普段は某大手メーカーの普通酒を使っているのだが、特別に獺祭の「50」で作ってもらうことになった。なんとも贅沢なひれ酒、そのお味は上品で繊細で、もう激ウマ!もちろん、ひれの処理や焼き方が完璧なのは言うまでもない。こうして最後の雑炊まで、河豚と獺祭をたらふく堪能したのであった。
はじめにお客様ありき
獺祭の蔵は、徳山と岩国の中間あたりに位置する山の中にある。2年前まで携帯電話も入らず、インターネットの光ファイバーも来ていなかった「ど田舎」である。
「人間より猿のほうが多い山の中ですから、酒なんて売れるわけがない。地元で売れなくて、押し出されるような格好で、仕方なく東京市場に出て行ったというのが実情です」
それが20年ほど前のことだった。当時、東京で飲める山口県の地酒は少なかったので、東京在住の山口県民がまず飲んでくれた。その後、彼らの口コミを通して、じわじわと浸透していったのだという。
けっして地元で売らないわけではないが、「単純に比較して、岩国の売り上げよりニューヨークの売り上げの方が大きい。となれば、売れないところで無理に売ることはない。売れるところで売ればいい」と桜井社長は言う。
しかし、大規模店や卸問屋のような、マスセールスには出て行かない。地酒専門店も、取引はあるが、強いつながりはない。この点は海外でもまったくスタンスは変えない。取引はディスカウンターとは行わず、レストランとワインショップ、高級スーパーに限っている。獺祭は、日本でも海外でも「独立系」なのである。
「一番大切なのは飲んでくださるお客様。酒屋や料飲店じゃない」と桜井社長は言う。これは、獺祭の酒造りの基本にもなっている。山田錦も純米大吟醸も遠心分離法も、はじめにスペックありきではないのだ。旨い酒、お客様の要望に応える酒を目指した結果、たどりついたことなのである。
だから、「極端なことを言えば、日本酒は、日本の米で造らなければいけないとは思っていません。今は山田錦が最良なので使っていますが、オーストラリアの米が山田錦より優れていたら、すぐそちらに変えますよ。原料が何かより、最終的にどんな酒を造るかが重要なのです」と度肝を抜くようなことを言う。こうした発想によって、獺祭は飲み手の厚い支持を得たのである。
「幻の酒」になってはいけない
この4月には6000石の製造能力を持つ新工場を建設した。「幻の酒にはなりたくない。メーカーは求められればきちんと需要に応えなければならない」というのが桜井社長の考えだからだ。
しかし、大仕込みの大量生産工場ではない。年間270本ものタンクを仕込むので、とにかくタンクと人を増やして人海戦術で対応している。仕込み室には、1.4トンと900キロの小さなタンクがズラリと並んでいた。それもコンピュータ制御のサーマルタンクではなく、普通の開放タンクである。蔵の中は冷房で5度に冷やし、年間を通じて冬場の環境を整えて四季醸造を行っている。
タンクには冷水と温水がまわるようになっているが、ほとんど使っていない。もろみの温度管理は櫂入れと氷、そしてタンクにつるされた電球だけで行っている。そうでないと0.1度〜0.2度といった微妙な温度管理はできないのだという。
麹もまったくの手造り。しかも出来上がるまで、通常の48時間ではなく、60時間ほどかかるため、こちらも人手がいる。新蔵には、体育館のような麹室が完成しており、下に電球とファンのついた特注の箱が10台入る予定である。
米は1日2トンを全量手洗いしている。すべて大吟醸だということもあり、厳格な限定吸水。吸水率は0.2%と狂わせないという。壜詰めラインも見せてもらったが、パストライザーを導入しており、冷酒を壜詰めし、65度で火入れ後に急冷するという、瓶燗急冷方式である。
とにかく一分の隙もない、真剣の上を渡るようなギリギリの酒造り。これは一般に公開されている酒造技術を研究し、桜井社長が練り上げたオリジナルだという。さらに毎回データを取り、蓄積することで、目指すのはもう一歩先の酒造りであり酒質だ。獺祭は日々進化し続けているのである。
東京市場で成功したあと、ニューヨーク、そしてフランスへと進出し、高い評価を得ている獺祭。海外の売り上げは、現在全体の1割程度だが、それを5割まで持っていきたいという。
「イタリア車に乗っている日本人は、イタリアが好きだったり、憧れだったりしますが、日本車に乗っているイタリア人は、ただ安くて性能が良いから乗っているのでしょう。海外の日本製品というのはその程度なのです。でも日本酒は、日本に憧れて、日本をリスペクトしているから飲む、そんな酒であってほしい。それにはまず、日本という国をブランディングしないといけません。それをみんなでやろうとか、日本政府に何かやってくれとか、全く思いませんね。やりますよ、うち一社で。誰かがやれば、あとから皆ついてくるものです」
狭い日本酒業界の中で客を取り合うのではなく、洋酒も含め数ある酒の中で、選ばれる酒を造っていきたいという桜井社長。日本一勢いのある酒蔵は、山口の山奥で、静かに世界を見据えているのであった。
旭酒造株式会社
創業 昭和23年 年間製造量4300石
山口県岩国市周東町獺越2167-4
TEL0827-86-0120
http://www.asahishuzo.ne.jp
1栄ふく 山口県周南市櫛ヶ浜 TEL0834-25-0575
2精米所
3蒸し取り
4遠心分離器
5仕込み室
6酒母室
7麹室
8麹を盛る箱(特注品)
9獺祭のお酒
10桜井博志社長とともに